2014.12月のコラム
 

12月 NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」も終わりになります。黒田家は私の故郷 姫路の出身で目薬の行商から身を起し大名になりました。

「名門も初代はすべて成り上がり」という言葉がありますが戦国時代 勝ち残ることは大変だったと思います。


 来年4月10日には三郷中央ロータリークラブが創立25周年の記念チャリティーとして大相撲三郷場所を三郷市総合体育館で開催します。

横綱 白鳳、鶴竜、日馬富士や大関 稀勢の里、琴奨菊、豪栄道そして逸ノ城、遠藤などがきますので是非大相撲三郷場所を見に来てください。

  もうすぐ平成27年になります。
      皆様 よいお年をお迎えください。
2014.11月のコラム

 11月 次男に男の子が誕生しました。健やかに育つことを願っています。

 寒くなってくると鍋料理や居酒屋が恋しくなってきます。大学の寮の同期が、日本貿易振興機構(ジェトロ)・月刊誌「ジェトロセンサー」の編集長をやっています。

 この編集後記で、あるラーメンチェーンの張り紙の一節「中華そばがご馳走だったあのころ」を紹介し、故郷福島県いわき市での昭和30年代の頃のことを書いています。

両親と弟との4人で時代劇(多分、片岡千恵蔵の遠山の金さん、市川右太衛門の旗本退屈男、大友柳太朗の怪傑黒頭巾などだろうと思いますが)みて、映画からの帰路小さな中華そば屋に立ち寄って、中華そばを食べるのが楽しみだった。ラーメンチェーンの張り紙は、毎日が楽しかった当時の故郷の空気を思い出させる。故郷の復興を願って止みませんとも書いています。

昭和30年代、日本各地で見られた懐かしい風景です。私の故郷の兵庫県姫路市も、たまに取る中華そば、きつねうどんの出前、駅前の中華料理店のワンタン麺にシュウマイ、デパートの大食堂のホットケーキとプリン 美味しかったです。「足るを知る」フランス料理のフルコースより故郷の味の方が懐かしく美味しいです。

 学生時代 友人の下宿近くの洋食屋、教員時代 同僚とよくいった料理店の鍋料理など思い出とともにある料理の味は何者にもかえがたいものがあります。
2014.10月のコラム
 10月 先輩の会計事務所の旅行に参加して東北に行ってきました。

 陸中海岸の田老では、東日本大震災の現地で震災ガイドさんより津波の被害の説明を受けDVDも見せてもらいました。危機に対しては甘く見ることなく徹底して備え、行動することの重要性を痛感しました。

 遠野地方、花巻温泉は以前より訪れたいと思っていたところです。
遠野では国の重要文化財に指定されている遠野の旧家 千葉家の南部曲り家を見学しました。千葉家は秋田の本間家ほどではないですが遠野地方の豪農・大地主でした。

 花巻温泉は伊香保のような温泉場をイメージしていましたが、大きなホテルが4つありすべて国際興業の系列とのことでした。ホテルに昭和初期の花巻温泉の写真が掲示してありましたが、多くの木造旅館が並んでいました。現在は商店街が大手資本に買収されて大手スーパーがあるようで、少し温泉情緒がなく残念でした。

 東北新幹線の二戸で下車し、一ノ関で乗車するまでの2泊3日、岩手県北自動車の観光バスで旅行しました。この観光バスのバスガイドさんが実によかったです。一見普通のおばさんガイドですが、いままでこのようなガイドさんに出会ったことはありませんでした。一言でいえば、よく勉強しているなということです。税理士もプロといわれる専門職ですが、改めて常に努力することの大切さを教えられました。

 東日本大震災の現地・花巻温泉の現状、観光バスのガイドさん、会計事務所はどうあるべきか考え直すよい旅でした。
遠野へおでんせ
2014.9月のコラム

 9月、名古屋の近くの稲沢市にある萩須高徳記念美術館、関ヶ原、比叡山延暦寺に行ってきました。

故郷姫路から新幹線で上京する時、途中下車して一泊しなければならないところなので行ってみようみようと思いながらなかなか実現しなかった三ヶ所です。今回岐阜と京都に一泊づつしてゆっくりと訪れました。

  関ヶ原はまだ夏の暑さが残っていましたが、一日かけて平野を歩き山に登りました。各主要な陣地跡には関ヶ原市が旗を立てており、パンフレットも良く出来ていて非常にわかりやすかったです。関ヶ原は思ったより狭くこんな狭いところで東軍7万5千人、西軍8万4千人がよく戦ったなと思いました。

 豊臣家を滅亡に導いたのは、豊臣家恩顧の大名 福島正則と加藤清正が石田三成憎しと私情を優先し小山会議で徳川家康についたためと考えています。結局、福島家も加藤家も徳川の天下になって後、事実上改易されています。

 関ヶ原関係の本を読むとき、人は大事の前にどのように決断しどう動くかを考えながら読んでいます。司馬遼太郎は「関ヶ原」で行動の基本は「自家保存」だと書いていますが、多くの作家が色々な視点から多数の著書を書いているので読みがいがあります。ビジネス書としても関ヶ原関係の本は研究に値すると思います。
2014.8月のコラム

8月 甲子園の高校野球大会が終われば夏も終わります。

 この夏、鹿児島の知覧に行ってきました。知覧特攻平和会館、鳥濱トメさんの富屋食堂、武家屋敷を見てきました。知覧特攻平和会館には、特攻で散華した1036名の隊員の遺書が収集展示してあります。

18才のある隊員は、6才より育ててもらった継母に対して、慈しみ育ててもらったお礼と最後まで「お母さん」と呼ばなかったことを詫びています。「母上お許しください、さぞ淋しかったでしょう。今こそ大声で呼ばしていただきます。お母さん お母さん お母さんと 」胸が打たれます。

 天台宗の開祖 最澄の「一隅を照らすこれ国宝なり」という言葉がありますが、知覧特攻平和会館の特攻隊員の遺書は、まさに日本の国宝です。知覧特攻平和会館に収集保存されることにより貴重な遺書等が散逸しなくてよかったです。

 角川春樹事務所発行のハルキ文庫に高田郁著「みをつくし料理帖」シリーズがあり全9冊この夏一気に読みました。女料理人の物語です。料理人にとって、料理の部分を読むだけでも価値があると思います。幻冬舎文庫の「銀二貫」を以前読んでいたので、期待していましたが期待に外れず大変おもしろかったです。


      鹿児島 知覧と「みをつくし料理帖」で過ごした夏でした。

2014.4月のコラム

4月 新緑の季節です。

消費税率が8%になりました。
会計検査院の指摘を受けるような無駄遣いをせず、有益に税金を使ってもらいたいものです。

韓国のフェリー「セウォル号」沈没事故
多数の乗客、若い高校生が亡くなり痛ましい限りです。
船長の無責任、過重積載等、まさに人災です。トップとしての責任感の無さと共に、基本的事項が遵守されていないのです。
 
 日本では、JRの乗客の多いホームでは職員が指先を使い安全を目視しています。基本的動作です。

 ところで最近、東京新聞の投書欄によると、高校生がJRの車内で盗難にあい、サイフもケイタイ電話もなくなり駅から出ることができなくなりました。JR西船橋の職員に家庭に電話して駅まで来てもらうため、電話を貸してくださいとお願いしたところ、貸す電話はないと断られたそうです。仕方がないので歩いている人4〜5人に、携帯を貸してくださいとお願いしたところ1人の人が貸してくれたので父親と連絡がとれたそうです。このJR西船橋職員の態度に父親が怒り、新聞に投稿したのです。

 JR北海道ならありえることですが、JR東日本にも、未だに国鉄時代の意識を引きずっている職員がいるということです。このような職員は鉄道整備株式会社(通称 テッセイ 新幹線車両の車内清掃などをしています)に出向させて意識改革させるべきです。

このような一部の不心得な職員は別にして、JR職員は基本的事項をよく守って安全性確保に努めていると思います。昨年、南浦和駅で乗客が車両とホームの間にはさまれた時、JR職員と多数の乗客が力を合わせて車両本体を押し、はさまれた乗客を助け出した時の様子の写真が報道されていました。人々の助け合いとともにJR職員が日ごろ安全性確保に努力しているのを乗客がみていて今回の事故の時に協力したと思います。

 1月のコラムに書きましたが、大学の寮の先輩 明日香出版社オーナーの石野誠一さんのモットーは「営々黙々、花が咲いても咲かなくても」です。「セウォル号」の沈没事故で改めて、自己の職務において、営々黙々と愚直に基本的事項を守ることの大切さを痛感しました。
2014.3月のコラム

 3月 確定申告が無事終了しました。

これから、三郷早稲田団地は桜の季節になります。三郷にお見えになったときはぜひ、早稲田公園、早稲田団地で満開の桜を観てください。

 テレビでトヨタ自動車創業者 豊田喜一郎(テレビでは別名になっていましたが)の物語を放映していましたが、創業時の苦労・終戦後の経営危機などを描いたものです。リーダーの信念・情熱の大切さを改めて痛感しました。

 このドラマの中で日本銀行名古屋支店長の主導の下、協調融資を実行しようとしたとき反対した銀行の支店長が日本銀行名古屋支店長より退席を命じられる場面があります。この銀行が他の文献で当時の住友銀行だというのを読んだことがあります。

豊田喜一郎のあとを引き継いだのが、後に国鉄総裁になった石田退三ですが、トヨタ自動車が経営危機を脱した後、住友銀行頭取がお詫びに来ても会わなかったそうです。この経験がトヨタの無借金経営、石田退三のいう「自分の城は自分で守れ」に結びついたものと思います。

 松下電器(現 パナソニック)の創業者 松下幸之助が二股ソケットを開発し事業を拡張するため銀行に融資を求めたとき、他の銀行が取り合わず住友銀行の担当者のみが上司に説明して融資を実行してくれたそうです。松下幸之助はこの時の恩義を感じてその後ずっと住友銀行をメインバンクとして取引をしたとのことです。この時の担当者は取締役まで昇進しました。同じ住友銀行でも、こうもちがうのは結局「人」なのかと思いました。

昨年、銀行の内幕をドラマ化した「半沢直樹」が話題になり「倍返し」が流行語大賞を得たのを思い出しました。

 三郷は、TX三郷中央駅、ららぽーと、ピアシティと開発が進み人口も増加してきたため新しく金融機関が進出してきました。

進出の先兵としての自負があるためなのか、少し強引に融資等を実行するところがみられました。最近担当者が挨拶もなく転勤したという評判をききます。以前、この金融機関とある企業の経営者が食事の約束をしていましたが直前になってキャンセルしてきました。その理由が支店長の転勤が急に決まったのでその送別会をするためです。支店長といえども銀行内部の人間、外部取引先との約束とどちらが大切なのでしょうか。このことはこの金融機関の体質を明確に物語っていると思われます。

 「人」と「組織」この問題は経営学、組織論の永遠のテーマですが、やはり最後は組織のトップだと思います。
 (敬称略)

「強将の下に、弱卒なし」
                  蘇軾「題二 連公壁一 」から
2014.2月のコラム


 2月 いよいよ確定申告がスタートします。

 この時期、雪国には比べものになりませんが、関東も雪が降ります。今年は例年より大雪でした。雪の季節になると、三好達治の詩集「測量船」の「雪」を思い出します。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

夜、太郎・次郎が眠っている屋根に雪が降り積もっている静かな雪国の情景が描かれています。日本の詩の傑作のひとつだと思います。

3月17日の申告期限まで、会計事務所には時間と体力が要求されます。

雪のシーズン ご自愛下さい。
2014.1月のコラム

2014年(平成26年)1月 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

 箱根駅伝、東洋大学が前年2位の雪辱をはたし優勝しました。酒井監督が打ち出したスローガンは「その一秒を削り出せ」です。

各選手はスローガンをマジックで腕に書いて走っていました。この「一秒を削り出せ」をテレビでみたとき「一円を削り出せ」という言葉が浮かびました。

酒井監督は「優勝を総合力で勝ち取った」と言っていましたが企業経営においても「一秒を削り出せ」「一円を削り出せ」は社員全員の明確な認識があってこそ成し遂げられることであり、重要なことだと思います。

年末年始にかけて、明日香出版社の創業者石野誠一さんの新著「社員・パートさん11人までの社長学」を読みました。

石野さんは、大学の寮の先輩で私が1年生で入寮したその年卒寮しているので寮で生活を共にしていませんが、寮のOB会でお会いしています。

明日香出版は、日本で有数のビジネス出版社の一つになっていますが、石野さん自身10数冊のビジネス書をかいています。

肩のこらない読みやすい本です。本音で書いてあります。初期の頃の本には仕事をして帰ってきて食事中、奥さんといさかいになってちゃぶ台をひっくりかえしたことなども書いてあります。

この近著のなかで石野さんは世の中には、まるで会社ごっこのような倒産もかなりあります。一時は派手なPR、パフォーマンスなどでマスメディアにも登場していて、多くの優秀な大卒をかき集めて数年後に倒産してしまい「わたし、社長を辞めました」みたいな本を出した無責任な若手社長もいましたね。とめずらしく他を批判しています。「千円札は拾うな」「私、社長ではなくなりました」。ワイキューブの安田佳生氏のことです。

この2冊とも読みました。そこに描かれているのは「一秒を削り出せ」と反対の光景です。
石野さんの一貫した主張が「会社を大きくするな」であり、会社は続くことが重要なのだ「営々黙々、花が咲いても咲かぬでも」です。

今年は馬年ですが石野さんの主張は「人間万事塞翁が馬」に通ずるところがあるように思われます。

馬にちなんでいえば「世に名馬は多けれど伯楽は少なし」ということわざがありますが、すこし図々しくいえば税理士として伯楽になれればよいなとも思います。

年頭にあたり当事務所の原点にもどり、高い専門的知識に裏付けられた地域に密着した会計事務所の構築を目指します。目標は山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」に描かれている小石川療養所のような会計事務所です。

皆様にとって、今年も健やかで穏やかなよき年であることをお祈り申し上げます。